せーはくの備忘録

備忘録(びぼうろく)は、記憶すべき事柄を簡単にメモするための個人的な雑記帳である。

20230910/嬉しさと悔しさ

  • 日曜。休日。
  • 7時半くらいに起きてご飯を食べ、家事をしたりスプラトゥーンで遊んだりして、昼過ぎに出発。
  • 友達(これは大学時代の唯一の友達のことを指します)と会ってファミレスで駄弁りつつ、彼が体調不良で買えなかった、朝日新聞の朝刊(9/1号)を渡す。スラムダンクの広告が載っているとのことで、購入を代行した次第です。
  • バスケW杯の話やら、プロ野球の話やらをだらだらと。お互い健康に暮らしましょう。

 

  • その後、都内に移動して前職の人と会った。彼らの仕事ぶりを目の当たりにし、思ったことがいくつかあるので書き留める。
  • 彼らと別れて電車に乗っている今、抱いている感情は「嬉しさ」「誇らしさ」のようなもので、それは退職をするときに感じたことの延長線上にあったように思う。

今日も今日とて最後の現場だった。良い現場を作れたな、としみじみ感じながら見守っていました。

20230505/別れ2(宝物) - せーはくの備忘録

  • 今日の件は私が退職する前から動いていた企画だったので、そのコンセプトだったり意図だったりというところは当然知っていたし、私の発意もあって動き出したため(もちろんそれを実現させたのは後任者の手柄だが)、今日の私は「形にしてくれてありがとう」「こういうのが見たかったんだよな」みたいな、腕組みおじさんをしていた。
  • そしてそういうのを見て、「みんな頑張ってるな。俺も頑張ろう」と思えたことが嬉しかったです。というのも、私がやっていたとき、到達目標として「それを受け取った人の背中を押せるようなものを届けよう」と掲げておりまして。少なくとも私という「受け取った人」は、そう思ったわけなんですよね。
  • だから「嬉しさ」「誇らしさ」を抱いています。私がやりたかったことが、ここにあった。
  • で、ふと冷静になって思ったことが、ふたつあります。「これでええんか」ということと、「これがええんか」ということのふたつです。
  • 「これでええんか」について。「嬉しい」「誇らしい」じゃなくて、「悔しい」と思わせられてしまうのが、お互いにとってあるべき姿だったんじゃないか、と思うわけです。
  • だって私は彼らを見捨てたわけだし。ならば、同じ「俺も頑張ろう」でも、その枕詞は「みんな頑張ってるな」ではなく「すげぇもん見せられて悔しい」であるべきなのではという。ハピネスなぬるま湯ではなく、リスペクトしあうライバルであるべきなのではという。
  • なのでまたもし彼らの仕事を目にする機会があれば、「悔しい」と思わせてくれることを期待しているし、私もそれまでに、そういうクオリティのものに打ちのめされないだけのものを私も身につけよう。
  • 「これがええんか」について。発意を残してあとは任せた、というこのスタイルって、転職するしないに関係なく、仕事のひとつとして普通に選択肢としてあるよね、と思っていて。
  • 「でも俺は違うんよ。最後まで面倒見てあげたいんよ」と思っていた……のですが、「あれ、案外これも悪かないわね」と思っている自分がいます。手抜きできてラッキーとかではなくね。
  • 「ゴールが示され、熱意のある人が携わった結果、想定どおりもの(あるいはそれ以上のもの)が世に残される」という一連の構造で、私がどこにどれだけ関わりたいのかという観点で、私の中の私は「1から100だろ」と言っていたのですが、どうやら「1から5くらいでも面白いんちゃいますの」という私もいる、らしい。というのが新発見で。
  • それが真実なのであれば、何かこれまでストップをかけていたものに取り組めたり、立場や発想を変えることで叶えられる夢があったり、5までに留めるぶん20倍のものが生み出せたりするのかもしれない。
  • みたいなことを考える1日でした。

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  • 後悔ではなく、「転職していなければどうなっていただろうか」と、別世界線の自分を想像することもあるけど、この選択に恥じない今を残したい。でも、俺のやりたいことってなんなんだろう。悩みつづけるのかもしれないなぁ。