- 火曜。外仕事。午後からは在宅にしようかなぁ。
- ちょい遠い現場での案件なので、いつもより1時間ほど早く家を出た。それだけでスーツ=サラリマンの割合がぐっと増えるので面白いもんですね。
- チームYOASOBIの賢さがよくわかる記事です。
YOASOBI「アイドル」国際チャート1位の快挙に学ぶ、日本の音楽が世界で勝つ方法(1/6 ページ) - ITmedia ビジネスオンライン
- 賢いなぁと思うと同時に、私がYOASOBIのことを好きになれない理由もわかった気がする。
- YOASOBI、どこまでも「器」だなと感じてしまうんですよね。タイアップ作品の魅力を上げるための、世界で売れるための、などなど。その曲がリリースされる目的に応じて、変幻自在にかたちを変える器。彼らのクリエイティブは、発注に対する100点の回答を毎回きれいに示してくれます。
- だけど、否、だからこそ、私は彼らのことをあまり好きになれない。我ながら捻くれた野郎ですね。
- 器であることを選んだアーティストでいうと、私はいきものがかりを思い出します。リーダーの水野さんが7年前(マジかよ)に受けていたインタビューから引用。
「そのひとしか知らない大切で強い感情を、安心して重ねることのできるやわらかな器のような歌」を、自分はただ愚直に目指し、つくればいい
ジャンルは多様化し、バラバラになっていることが肌感覚として分かって。つまり、“みんなが聴くもの”というJ-POPのイメージが、どんどんファンタジーになっていっていることを理解したんです。そして、そんな音楽の世界で自分たちがご飯を食べていく、あるいは自分たちの音楽で何かアクションを起こすのならば、“みんなで聴くもの”という、今はないものを目指すことなんじゃないかな
いきものがかり水野良樹が、J-POPに挑み続ける理由「今はない“みんなで聴くもの”を目指してきた」 - Real Sound|リアルサウンド
- 私はかつて、そんないきものがかりの音楽に育てられて、そして今も彼らの音楽が好きです。だからこそ、同じような「器としての音楽」というイメージのあるYOASOBIのことを好きになれない理由が、自分の中で腑に落ちていなくて。
- で、改めてこのインタビューを読んでいたらこんな記述が。
こういうタイプのグループをやっているなかで“媚び”というのはとてもセンシティブに捉える言葉で、おっしゃるように“媚びちゃいけないな”と思うんです。媚びるというのは、聴いてくださる皆さんの気持ちが分かっている、という傲慢さの裏返しですよね。“あなたはこういう歌が聴きたいんですよね。だからこんな曲を作りました”なんて、傲慢じゃないですか。
僕には、やっぱり聴いてくださる方の気持ちというのは、本質的なところでは分かりません。でも、“こういうものもどうですか”と、そこに手を伸ばす――表現が難しいのですが、僕らと、聴いてくださる皆さんの真ん中に、ちゃんと曲を置けるように、というのはすごく気をつけています。
――自分の表現として楽曲を手元に置くのでもなければ、逆に押し付けるように聴き手側に寄せるのでもなく、“真ん中”に置くと。
そうですね。
- そうか、まさにこれだな、と思ったんですよね。
- いきものがかりの「媚びないように」のスタンスは、言い換えると「俺たちの信念を持ってやろう」ということだと受け取っているのですが、たぶん、私はYOASOBIの音楽に対して「信念」ではなく「媚びや傲慢さ」を感じてしまっています(YOASOBI側の問題ではなく、私の問題として)。
- そしてその上で、YOASOBIが「押し付けてくる」器の形があまりにも美しいものだから、その形に自分自身を適合させねば不正解だ、みたいなことを思ってしまう自分が嫌いなのかな、と。
- まぁ、YOASOBIももちろん信念を持ってこの音楽をやっているはずですが、その信念が俺向きではないと思っちゃうってことなんでしょうね。素直に好きになれたら幸せだなとは思うんですけど、こればっかりは仕方ないかなぁ。
- やはり、YOASOBIへのアンチテーゼという意味も込めて、朝型生活ユニット・HAYAOKIを始めるのが俺のやるべきことかもしれない。
俺はYOASOBIに対抗して、HAYAOKIとしての活動を始めたい
— ケイスケ (@gkeisuke) 2021年1月6日
- 後半は在宅。19時半くらいに退勤して、ご飯(豚ニラ玉)(激ウマ)を食べて、スプラトゥーンして、お風呂入って今。
- スプラトゥーン、ランクがBマイナスになりました。順調に成績を伸ばしております。ホコでも5割くらいは勝てるようになった。
- これからも楽しんでやっていきます。
- おわり。走りたいわね。