せーはくの備忘録

備忘録(びぼうろく)は、記憶すべき事柄を簡単にメモするための個人的な雑記帳である。

20230916/洲崎西、ラジオ、帰省

  • 土曜日。休日。
  • 8時に起きてご飯を食べ、支度。今日からの3連休、西のほうにある妻の実家に帰省(でいいのかな)します。
  • 早めの昼食を食べてから出発。まずはラジオ番組「洲崎西」の10周年記念イベントです。場所はサイエンスホール。

イベント情報 - 洲崎西イベント2023〜ファンキーエイリアン〜

  • なんでコード的にはイベント名が「ファンキーエイリアン」になってるんだろう。正式タイトルは「JIKKOH」でした。仮タイトルが残っちゃってんのかな。
  • ともかく。「洲崎西」、学生時代(〜2017年)までは毎週聞いていたしイベントもほとんど参加していたのだけど、放送時間が遅いこともあって番組を聞く頻度が減り、それに伴ってイベントにも足を運ばなくなっていました。
  • でも今日、久しぶりに洲崎西の空気を感じられて、当時の記憶が蘇ってきたりとか、やっぱ洲崎さんも西さんも根は真面目で、そういうところに安心感や信頼感を抱いてしまったりとか、そんな懐古の場に嫁さんと共に参加していることへの不思議な感じを抱いたりとか。
  • それら全てがゲラゲラ笑いに集約されるのは、本当に素晴らしいことだなぁと思うわけです。田丸篤志さん改め田丸焦司(じらし)、面白すぎたな。
  • 生活に無理のない範囲で、また聞いてみよう。ラジオって多分、そういうもんでいいと思うので。

  • うれしいね。

 

  • その後、東京駅に移動して新幹線で西へ。
  • 沈む夕陽を見ながら、mktbnさんのガルラジ二次創作『距離について』を読みました。どうやら「旅」あるいは「移動」がひとつのキーワードになっていそうな作品だったので寝かせておいた次第。
  • mktbnさん、ガルラジ二次創作の第1作目のあとがきで、

「個人的な感覚として、二次創作は一次作品の何が自分に刺さったかを言語化する作業」

「意識できていない曖昧な感情は、言語化することで切り捨てられて失われてしまう」

「それが嫌だとなると、曖昧なものは曖昧なまま伝えるしか」

  • と書いていて。
  • 言語化により本質が失われるリスク、というのは間違いなくあって、それに怯えながら、私は今もこうして言語化をしているわけです。
  • お前の感情を「エモい」で安易に片付けるなよ、と若者にキレているくせに、私だって一周まわって「エモい」と言いたくなるときもあったりする。それは曖昧な言葉に閉じ込めることで、私が感じたことを永久凍結できるような気がしてしまうから。
  • でも、残念ながらそうではない。記憶は薄れてしまうので。
  • だから私は大抵、全てを受け取って、帰りの電車に揺られたり、お風呂に入ったり、ベッドに入ったりして、それでも尚、心の真ん中に刻まれている感情こそが「本質」だと信じて、その部分のみを平易かつなるべく具体的な言葉で書き残す行為として「感想」を書いています。
  • そうすれば、逆算して受け取りたての感情にたどり着けるような気がするから。そうすれば、たとえ感想としては的外れだったとしても「それを受け取った私自身」については100%の精度で記録することができるから。
  • だけど、『距離について』の感想は、曖昧な言葉にまとめさせてほしい。それが許されると思うので。
  • これを読めば、旅をすれば、ガルラジの思い出はいつもここにあると気付かされるような、私たちのデイズには、これからもガルラジがあるんだと胸が熱くなるような一冊でした。東京から離れていく道中で読めてよかった。

 

  • 新大阪駅に到着。スポニチ阪神タイガース優勝特集号を購入しました。やったぜ。
  • で、夜ご飯(めちゃウマ)を頂いて、お風呂をお借りして、今はベッドです。
  • 明日はちょいと散策デイになりそう。あんまり暑くならんでほしいわね。

 

  • おわり。雨宮さんのディナーショー開催が発表されました。嬉しすぎるぜ。寝る。