- おうちの感じとかメイクの感じとか、各々違うのが大変すばらですね。
- 豊崎さん、ポップガード付きのガチ目のマイクを持っていることが判明した。絶対家でもおかえりらじおやれると思うんだけど、局に行くのは生放送に拘ってくれているってことでしょうか。家でも生でやってる番組はあるけど、ご家族もいるし事故るリスクを考えると局に行ったほうが安心ではあるかもしれない。
- ぶっちゃけ、アーティスト活動の宣伝媒体として、今どきYouTubeチャンネルがないのはかなりしんどいものがあるので、さっさと開設しろよと思っていたんだけど、こういうかたちで実現するとは……。
- 願っていたのはアーティストのチャンネルであって、トーク関連のチャンネルならばやらなくていい(プラスフィあるし)と思っていたが、まぁ結局動く姿を見られると安心するというのはある。お金が落とせるようになったらちゃんと落とします。
- というか、チャンネルコンセプトの「いろいろな企画にチャレンジしたり、「実験室」のようにそれぞれがやってみたいことをバラエティー豊かに配信予定!」って完全にスフィアクラブでは…………!?
- 見逃した人はdアニメストアでも見られるよ。
- 2018年9月公開らしくてビビった。昨年夏くらいかと思っていたぜ。公開時から評判は聞いていたが、タイミングが合わず、地上波初放送ということでようやく見ることができた。
- 結論から言うと、めちゃくちゃに泣いた。「あぶね~」と言いながら涙ホロリするのを3~4回したあと、最後の20分間は泣きっぱなしだった。この映画、涙腺刺激成分が濃厚すぎる。
- ちょっと舐めてかかっていたので構造的な解釈をするつもりで見ていなかったんですが、振り返ってみると、「おっこってめちゃくちゃ主人公なんだよな……」という感想にたどり着きました。
- これは持論ですが、主人公というのは「視聴者の誰からも嫌われないこと」「視聴者を感情移入させること」の2つが大事な要素だと思っています。
- 嫌われないのは見りゃ分かる。てか、小学生の女の子を嫌いになれるはずがない。
- で、幸せな親子を襲った突然の事故から始まり、重いトランクを転がしながら春の屋へと向かうおっこはとても健気で、おっこは強い子だなぁと思ったんですが、インサートされる両親の姿や幽霊が見えることから死を受け入れられていないことが分かって、「強くなんかない、おっこだって小学生の女の子なんだ」と痛感させられるんです。もうその時点でおっこへの感情移入が凄い。
- 両親を事故で亡くすという経験、誰もがしているわけではないんだけど、それでもね、冒頭の事故シーンがあまりにも質感のある描写だったから、ぐっさり刺さってしまった。
- そんなおっこは、若おかみを目指しながら様々なお客さんと触れ合います。
- そのお客さんがどんな人でどんな理由で宿泊しているかは、僕らは事前に知ることはできず、あくまでおっこの視点から、おっこの接客を通して彼らの人生の一端を知っていきます。神田親子も、グローリーさんも、(接客ではないが)ピンふりもそうでした。
- そして木瀬親子もそうなるはずだったのですが、峰子おばあちゃんのシーンが挟まり、視聴者は神の視点を得て、この後おっこに起こることを察知してしまう。ここの絶望感たるや。
- 「春の屋は、どんなお客様でも受け入れる」。この台詞と、脚本の吉田玲子さんが述べている「原作の中で監督が重要と思われていることは、現実を受け入れる、そのうえで誰かに喜んでもらうために何かをする、前向きな毎日が自分も他人も幸せにする…ということなのかなと思いました」という言葉。うぅ……熱いよ……あまりにも熱い。
- いやなんか、映画の感想を書くの本当に下手くそなんだけどさ、この作品を生み出したことの根底にあるのってさ、やっぱりスタッフ陣の願いだと思うんですよね。おっこに前を向いてほしい、その姿を見た人に前を向いてほしい……みたいなさ。
- 俺は受け取った。生きるぞ。
- もっとちゃんとした感想は、ななしさんのnoteで読めるので是非。
- 映画を見終わって、「おっこがあんなに懸命に生きているんだから俺も生きよう」という思いに駆られて買い出しに行こうとしたのですが、ドアを開けると雨が降っていたのでそのまま一歩も家を出ずに靴を脱いだ。俺は弱い。風呂に入って寝ます。