- 火曜。くもり。寒い。仕事。
- 昨日購入した、ニューエラのキャップをかぶっている。大変良い。キャップが似合うアラサー男性になるぞ計画は順調です。
- 高垣彩陽さん37歳のお誕生日です。
そしていっそう母に感謝。
特に誕生日は「ありがとう」という気持ちを伝えてたけど、
今年は今まで以上に、
母への感謝の気持ちが膨らみます。
私は4:30ごろ生まれたんだって!
ちょうど起きてたから、二人でお茶しながら明け方にちょっと語らっちゃった…(笑)
とても感慨深かった。
私だけでなく家族みんながそれぞれ新たな役割を得てまだ数日ですが、
なにかあたたかなものが、
脈々と繋がっているのだなと感じました。
そんな25日の素敵なはじまりでした。
- 彩陽さんですねぇ、というブログでホクホクです。おめでとうございます!
- 作品と作者は切り離せるか論、定期的に考えちゃうけどなかなか難しいですね。
- 「こういう人になりたいわね」という理想像としては、切り離して楽しみたいです。が、そう単純なものではないというのが今の私でごさいます。なので、自分自身を紐解いてみたい。
- まず、私の人生は、かの人に支えられてきたわけではないので、直接的なダメージを負ってはいないのだけど、それでもかの人が生み出した作品にある程度は触れてきたし、これからも触れる予定があった。
- そして私は、「クリエイター自身について知りたい」のマインドが、年々大きくなってしまっているタイプのオタクくんである。それはつまり、切り離すことが年々難しくなっているということでもある。
- 例えば、麻薬やっちまって捕まったクリエイターが、麻薬を題材にした作品を世に出したら「実体験なんかね」と思っちゃうし、逆にいわゆるホワイトな作品を世に出したら「つっても麻薬やってだんだよな」と思っちゃう。つまり、どちらに転んでも難しい。
- もちろんその作品に罪はない。が、罪はなくとも、作品には作者の人生が詰まっている。そうも思うんですよね。だからこそ作品は作品として存在するし、エンターテインメントは楽しい。人生の詰まっていない作品には血液が通わないし、熱量も魅力もない。そう思っている。思いたい。エンタメは人が作ってんだよな。
- だから、難しいよね。
- でもその一方で思うのは、作品はひとりでは作れないということ。それはつまり、別の誰かの人生が詰まっているということで、そんな作品を闇に葬ったり、市場から抹消してしまったり、「もういらない」と捨て去ってしまったりするのは、すごく悲しい。
- だから、切り離して楽しみたい、というよりは、ぜんぶ受け止めて楽しみたい、になるのかな。いまは。
第554回 作者の死の回 - たっちレディオ | Podcast on Spotify
- 最寄りに着いたのでおわり。飯食ってチェンソーマン見て寝るぞ!