せーはくの備忘録

備忘録(びぼうろく)は、記憶すべき事柄を簡単にメモするための個人的な雑記帳である。

20220501

  • 日曜。休日。
  • 結婚披露宴の内覧会があり、なんやかんやを色々と見てきた。昨年の時点で挙式はやっているので実感が湧いてきましたみたいなのはないんだけど、色んなものを決めなければならないな……という焦りめいたものは湧いてきた。やるったらやるぞ。
  • その後は埼玉へ。夏川椎菜さんの2ndライブツアー「MAKEOVER」初日に参加しました。以下、感想です。ネタバレ嫌な人は程よく避けてください。
  • あと、人によっては、ネタバレという意味以外でも読まない方がいいかもしれない。自己責任でやってくれ。

■LAWSON presents 夏川椎菜 2nd Live Tour 2022 MAKEOVER | TrySail Portal Square (トライセイルポータルスクエア)

 

  • セトリ。

  • 概要。

会場:さいたま市民文化センター 大ホール

開演:19時00分

終演:21時18分

バンド(ヒヨコ労働組合):Gt.山本陽介、Gt.川口圭太、Ba.伊藤千明、Dr.早川誠一郎(Mp.菅原拓

  • 感想を書いていくぞ。あくまで俺の感想だからそこはよろしく。
  • 書いてみたら長くなったので要点を先にまとめる。
  1. そもそものゴール設定にミスマッチがあった。
  2. アルバムを背負ったツアーとして、セトリは100点の出来だった。
  3. 説明過多でエンターテインメントとして成立していない印象があった。
  4. <感情>を描くというコンセプトにしては第三者視点すぎた。

 

  • まず、バンドが良かった。生バンドの夏川ライブは初参加だったのですが、大変良いね。特にベースの伊藤さんがたまらんかった。レフティの指弾きスラップなんて惚れるに決まってるだろ。ドラムスの早川さんは初参加だったみたいだけど非常に素晴らしかったですね。ドラムスはライブ全体の空気感を作るムードメーカーだと思っているんだけど、その役目を十二分に果たしていました。
  • 終わった後、率直に浮かんだのは「評価するのが難しい」という感情でした。正直、手放しで褒めることはできなかった。評価とか褒めるとかいうとあれだな、俺には刺さらなかったです。しっかり踊らされたし、身体は疲れているんだけど、心は動かなかった。謎ですね。
  • 帰りの電車で『コンポジット』に関するナタリーのロングインタビューを読んで、その謎の一部分が解けたような気がしました。

1stアルバム「ログライン」を出して、1stライブ「プロットポイント」(「LAWSON presents 夏川椎菜 1st Live Tour 2019 プロットポイント」)をやったことで夏川の第1章が完結して、「Ep01」から第2章が始まったという流れがあって。

その第2章を締めくくるのが「コンポジット」であり、いわば第2章のエンディングテーマとして「クラクトリトルプライド」以上のものはないだろうなと。単純に、喜怒哀楽の流れで作ってきたアルバムをちゃんと“楽”で終わらせるという意味でも一番ふさわしい

2万字のアルバム全曲解説インタビューで暴く、アーティスト・夏川椎菜の思考と感性 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

  • この太字の部分で、めちゃくちゃ納得してしまった。

結局「クラクトリトルプライド」に帰結するアルバム。その先を見たかったのに。

夏川椎菜 2ndアルバム『コンポジット』感想 - せーはくの備忘録

  • これが、今日の昼間に上げた、私の『コンポジット』感想ブログ。つまり、「クラクトリトルプライド」の先をアルバム(ひいてはライブツアー)で見たかった私と、「クラクトリトルプライド」までの道を描きたかった夏川さんで、そもそもの乖離があったんですよね。だからアルバムも刺さらなかったし、そのアルバムを補強する(後述します)ライブも刺さらなかった。そりゃそうだ。向いていた方向が違ったのだから。
  • セトリを見てわかるとおり、今回のライブはアルバム曲順どおりに<喜→怒→哀→楽>の流れで披露されていきました。最後の最後、もう一度「ハレノバテイクオーバー」を歌って締めたのは、感情は一方通行ではなく巡るものだということの現れ、または同じ事象を前にしても引き起こされる感情はその時々で変わることの現れか。各感情のブロック内で細かな前後調整はあったけど、ブロックをまたいだ移動はなし。
  • そしてそれぞれのブロックには既存曲が織り交ぜられていて、「この曲はこの感情です」、あるいは「このツアーでは、この曲はこの感情を乗せて歌います」というメッセージが込められていた。それがさっき書いた「補強」の意味。ナタリーの記事内でも、

(「アンチテーゼ」の"怒"や「クラクトリトルプライド」の"楽"とは)違うベクトルの“怒”と“楽”もあるんじゃないかな

  • といった言葉がありましたが、『コンポジット』収録曲では表現しきれない<喜怒哀楽>があって、それを既存曲に担わせるのはとても素晴らしかった。これまでたくさん聞いてきた曲たちに、ライブで新しい解釈を与えるというのはなかなかできることではないですからね。
  • それが特に表れていたのが『パレイド』。夏川さんにとって特別な曲のはずなのに、<哀>ブロックにスッと差し込まれていて、こんなに軽やかにこの曲をやれちゃうんだ……という驚きがありました。
  • と、まぁその「アルバムコンセプトである<喜怒哀楽>をベースにしつつ、それを補強します」という構成自体はとても良く出来ていて、アルバムを背負ったツアーとして100点だったなと思っているんですが、それを夏川さんが言葉で説明してしまったのが、私にとっては不満でした。
  • 最初に書いた「クラクトリトルプライド」の立ち位置についての解釈違いは、単に私と夏川さんのミスマッチですねはい終わり、なんだけど、これは明確に不満。
  • アルバム『コンポジット』は声優アニソン界隈の中でとんでもない期待と注目を背負った1枚でした。「アニソン派!project」でも取り上げられ、田淵智也がリード曲を書き下ろし、今世紀最高の楽曲である「アンチテーゼ」も収録された。
  • もちろんレーベルもめちゃくちゃプッシュした。インタビューもたくさん組まれたし、ラジオのゲストも多かった。店頭の押し出され具合も凄かったように思う。<喜怒哀楽>をテーマにしていることも、アルバムを聞けば分かりやすく伝わるようになっているし、そもそも夏川さんサイドがそりゃもう何度も「<喜怒哀楽>がコンセプトです」というのを説明してきた(この時点でどうなんだろ、と思っていたりもしたが)。
  • つまり、この1枚(と今回のライブ)がそういうコンセプトであることは、大変易しく、丁寧に、バリアフリー的に広められてきていて、既に常識というか通奏低音というか、そういう域まで達していた。はずだったのに。
  • なのに、ライブのMCで「次の<感情>のブロックにいきます」とか、言う必要あるのか???
  • コース料理ならわかるんだよ。「こちらはナントカ沖でとれたカントカをドウニカコウニカしたものです」とかを説明してくれるじゃん。ハァそうですかパク成る程美味しい。みたいなやつ。
  • 音楽はそういうんじゃないだろ。音楽やってんなら音楽で語ってくれよ。それがロマンだろ。
  • イベント尺のうち、(サブスクで計算すると)楽曲尺がだいたい58%だったんですよね。もちろん多少のズレはあるだろうけど、バンドセッションや映像で繋ぐコーナーもなかったので、約40%はMCをしていたことになる(興味本位で計算してみたところ、2〜3月に開催された雨宮さんのツアーは楽曲尺が70%。夏川さんよりも12%も多い)。
  • つまり何が言いたいかって、夏川さんはMCで丁寧に説明しすぎているように思ってしまった。いやまぁ、MCが上手な人だし、ライブコンセプト以外の雑談めいた話もたくさんしてたよ。だからMCが長い=説明過多ってわけでもなければ、MCが短い=正義ってわけでもないんだけど。あとは夏川さんのほうが雨宮さんよりも喉を張る曲が多いから、その分だけ休憩が多くなるのも仕方ない。そんなんわかってんのよ。
  • でも、世界最高の1stツアーである「プロットポイント」はそうではなかった。計算してみると、楽曲尺は今回と全く同じ58%。でもその他42%の中身は全く違っていて、1stではMCはほぼ無く、概念としての夏川椎菜を代弁したパンダの着ぐるみによる劇が挿入されていた。つまり、ほぼ100%の純度でイベントのストーリーが表現されていたんです。でも、今回の42%は「表現」ではなく「説明」だった。
  • そしてその「説明」という行為は、ステージ上で一番やっちゃいけないものだと思う。言葉で説明できないから、歌や踊りや芝居や絵に託すんだろ。そして客席はそれを受け取って解釈するんだろ。エンターテインメントってそういうものじゃなかったっけ?
  • 説明=答えを示されてハァそうですか成る程美味しい、が、今どきの、あるいは「より大きな会場にヒヨコ群を連れていく」ために必要なエンターテインメントなのか?それがエンタメなら俺は嫌だなぁ。武道館(かどうか知らんが多分そういうことだろ)なんて行かなくて良いから、ずっと2000人キャパでやっててほしいよ。それだって本当に立派で誇らしいことなんだから。身の丈にあったことやって、手の届くファンを喜ばせる。凄いことじゃないか。
  • 夏川さんは、自分のことを「夏川」と三人称で呼ぶ。それは、自分自身を客観的に見てプロデュースしていることの表れだと解釈していて(そう、まさに解釈。こういうのが楽しくてオタクやってんだよ)、その態度が上手くハマったのが1stツアー「プロットポイント」だったのだと思う。夏川椎菜という人間が如何にして生まれ歩み出すのかを第三者視点で描き、ひとつのパッケージとして表現できていた。
  • 一方で、今回の「MAKEOVER」はその手法では成り立たない。何故ならコンセプトが<感情>だから。感情なんて第三者にはわからないから。
  • つまり、今回のコンセプトをやるには、夏川さんは「私」を出す必要があった。だけど、夏川さんは今回も「私」ではなく「夏川椎菜」を表現した。そりゃ説明的にもなる。だって第三者視点なのだから。俯瞰で感情を描いたところで重みや熱量が含まれない、説明的なものにしかならない。あんたの本心を見せてくれよ。掲げた拳にちゃんと意志はあったのか?そうじゃないとデカい会場になんて行けないぞ。
  • 俺が「プロットポイント」の幻影を追い続けているだけなのかもしれないけど、すごくすごく辛くなってしまった。俺が期待した、夢に見た夏川椎菜はもう見られないのかもしれない。あの時感じた才能は幻だったのかもしれない。そう思わされてしまったことが、何より辛い。
  • 3rdアルバムまでは確実に追う。でも、そこでもエンタメ観の齟齬を感じたら、離れてしまうかもしれないなと思ってしまった。

 

  • 以上、感想でした。他の人は他の受け取り方をしたんだろうけど、ここは俺のブログだから俺は俺の感情を書きました。気を悪くしたらすまん。