せーはくの備忘録

備忘録(びぼうろく)は、記憶すべき事柄を簡単にメモするための個人的な雑記帳である。

『劇場版ポケットモンスター ココ』感想

視聴日:2021年2月14日

タイトル:劇場版ポケットモンスター ココ

公開年:2020年

監督:矢嶋哲生

脚本:冨岡淳広矢嶋哲生

キャッチコピー:君に伝えたい。/ここからは、キミの世界

 

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あらすじ

ポケモンと人間の、ちょっと変わった親子の物語。


人里から遠く離れたジャングルの奥地。
厳しい掟で守られたポケモンたちの楽園、オコヤの森があった。

そこで仲間たちと暮らしていた頑固者のザルードは、ある日、川辺で人間の赤ん坊を見つける。

「ニンゲン、これが……」

見捨てられないザルードは、森の掟に反して、赤ん坊をココと名付け、群れを離れてふたりで暮らすことを決意する。

ポケモンが人間を育てる生活が始まって10年。
ココはオコヤの森にやってきたサトシとピカチュウに出会う。
初めてできた「ニンゲンの友達」。
自分のことをポケモンだと信じて疑わなかったココの胸の中に、少しずつ疑問が芽生え始める。

「父ちゃん、オレはニンゲンなの?」
自分はポケモンなのか? それとも人間なのか?
悩むココだったが、ある日、招かれざる人間の足音が森に近づいてきて、平穏な日々が一変する――。

 

めっちゃ良かった。ポケモン映画史に残る大傑作ですね。

矢嶋哲生さんは2018年の『みんなの物語』以来2度目の監督作ですが、またも傑作を生み出してしまった。もうずっとこの人でいいよ……!となっちゃう。

 

 

考察

まず、劇中で明言されていないことの考察をしておこう。

父ちゃんザルードはピンク色のマントを羽織っていますが、それに書かれた数字は「251=セレビィの図鑑番号」です。そして、ピンク色は色違いセレビィ=物語のラストでオコヤの森に現れたセレビィの色です。

この2つを考えると、ピンク色のセレビィは、かつて卵を森に持ってきたセレビィで、父ちゃんザルードは、その卵から生まれた存在なのだと思います。つまり、父ちゃんザルードはセレビィの息子なんですよね。

 

これを踏まえると、色々な解釈が見えてきます。

物語の中で示された、

  • セレビィが現れない=平和な森ではない
  • セレビィが現れなくなった時期=父ちゃんザルードが森に来た時期

の2つが大切で、これはつまり、

  • 平和な森でなくなった時期=セレビィが父ちゃんザルードを森に連れてきた時期

ということです。

最初、父ちゃんザルードが来たことで森が良くない方向に進んだ(端的に言うと、父ちゃんザルードは疫病神)ということなのかなと思ったんですが、たぶんそうではなく、逆なんだと思うんです。セレビィが来なくなったから、森が良くない方向に進んでしまったんじゃないかな。

 

じゃあセレビィは何故森から離れたのか。

きっと、卵の状態で捨てられていた父ちゃんザルードを、セレビィがザルードの仲間のもとに返してあげたんだろうと。

そして子離れ・親離れという意味で身を引いたんだろうと。だから森には現れなかったんだと思います。

これって、物語の終盤で父ちゃんザルードがココに対してとった行動と同じなんですよね。

 

父ちゃんザルードは、セレビィが自分の父であること、そういう思いで自分を置いていったことを知りません。でも似た行動を選ぶ。何故なら親子だから。もしくは、父とはそういうものだから。

そう考えると、父ちゃんザルードが会得した特殊能力であるジャングルヒールは、かつてセレビィから授かったもので、それがココにも引き継がれたのではないかなと。引き継ぐ条件は分からないけど、生物的にはポケモンではないココにも引き継がれたということは、「森への愛」みたいなのがトリガーなのかな。

 

 

感想

「自らの存在意義を問う」というテーマは、劇場版ポケットモンスターの原点であり、本作の1年前にリメイク版が公開された映画『ミュウツーの逆襲』で描かれたテーマと共通しています。

ミュウツーの逆襲』では、人間に造られたミュウツー側の憎しみや怒りをキッカケに物語が展開されたのに対し、本作は、ポケモンに育てられた人間の悩みや葛藤を描きながら、「存在意義とは」という問いへの答えを、2020年に合わせて見事にアップデートし切りました。

 

人間でありながらポケモンに育てられたココは、あらすじにもあるとおり、自分がポケモンと人間のどちらなのかで悩みます。

そして、最終的には「自分はポケモンであり人間でもある」という結論に辿り着き、両者の架け橋になるために森を出る決断をしました。

 

どちらでもないということは、どちらでもあるということ。

 

これを2020年の子供向け映画で打ち出すのめちゃくちゃカッコいいし、作り手から子供への願いが込められたメッセージとして熱くなってしまいますね……。

わりと満席な劇場で鑑賞したのですが、隣でポップコーンをずっとむしゃむしゃしていた少年が、シーンが佳境に近づくにつれて、手を止めてスクリーンに集中しているのが嬉しかったです。これを子供の頃に見るというのは、情操教育的な意味でもとても大きなものになると思いますし、それだけの作品をつくりあげた製作陣には尊敬と感謝しかありません。

 

気になるところとすれば、ポケモン映画にしては珍しいくらい、悪役である博士がめちゃくちゃ悪役だったり(なんなら直接的な殺人までしている)、父ちゃんザルードの傷痕が生々しかったりして、「コレ有りなんだ……」とは感じました。

「世界はそんなに綺麗じゃないんだよ、その中で生きていくんだよ」というのを示したかったのかな、とか、あえて徹底的に悪い人間を出すことで、悪役にとっての敵であるザルード側に感情移入させ、ラストの長老ザルードの「博士とザルード、なにが違うんだろう」という台詞に紐付けたのかな、とか。

 

 

最後に音楽について。

本作の音楽は岡崎体育さんを含む5人が担当しました。

ずっと映画ポケモンの音楽は宮崎慎二さんが担当していましたが、岡崎体育さんはアニポケSMのOP・ED主題歌を4曲担当しており、その流れを汲んでの抜擢なのだと思います。

劇場作品の音楽をアーティストが担当するのは、『天気の子』におけるRADWIMPSと同じで、『君の名は。』以降のトレンドでもある挿入歌を多用した映画づくりが見事にハマっていました。岡崎体育さんが作り、トータス松本さんが歌う主題歌……めちゃくちゃ泣いちゃう!

 

 

以上です。素敵な作品をありがとうございました。