せーはくの備忘録

備忘録(びぼうろく)は、記憶すべき事柄を簡単にメモするための個人的な雑記帳である。

20220810

  • 水曜。暑い。会社がお盆期間に入ったので、出社。ちなみに、バナナマンライブの配信視聴期間を過ぎていたことに気づいてマジで凹んでいます。

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  • 先日このブログにも書いたが、水樹奈々さんのライブに参加した。曲も知らないスーパーにわかでしたが楽しかったです。

20220806 / #LIVE_HOME - せーはくの備忘録

  • で、マイフェイバリットオタクであるななしさんが、同じ公演についてのnoteを投稿した。

  • この公演はさいたまスーパーアリーナで行われたのだけど、ぱっと見、10,000人強くらいの動員だったように思う。アリーナは満席だけど、200レベルは5割程度で、300レベルは関係者。400〜500レベルに至っては黒いシートが敷かれていた。
  • 上記のnoteは、SSAを主戦場としてきた(らしい)水樹奈々さんが、そのSSAでこういう券売状況になったことに対して思うことをまとめたものです。良い文なので読め。

 

  • で、今回はこのnoteをきっかけ(あるいは踏み台)(あるいは便乗)として、私が思うところを書いていく。たぶん、少し長くなる。
  • まず、集客力低下の要因を考えてみた。ひとつ。結婚と出産。人気商売をやっていて、これを経てファンが増えるというのはなかなか考えづらい。ママタレントとして売るなら別だが、水樹奈々さんの場合はそうではないし。まぁそのあたりは覚悟した上での決断だったはずなので、賛否は特にない。
  • 次。本人の加齢。特に女性タレントは加齢の影響をモロに受ける。これはマジで暴論めいた持論だけど、哺乳類における種の存続的なものが関与していると思っている。つまり、メスは若くないと魅力が下がる。言い換えると、子孫を残すには若い方が有利という現実がある。対してオスはそこまで影響を受けない。なんなら経済的に裕福だったりするから、加齢が魅力に繋がることもあったりする。というのを踏まえての仮説だけど、男性ファンの減少と比べて、女性ファンの減少はそれほど大きくないのかもしれない(性交渉の対象にはならないので)。まぁ、元の比率は知らないのだが。あの、これ、頭で考えたらそうだよねという話なので、切り取って炎上させないでください……。
  • 次。オタクの加齢。オタクを何年もやっていると、人生のステージが変わっていく。就職。転職。引っ越し。結婚。出産。親の介護。エトセトラ、エトセトラ。オタクは心と懐に余裕がないとやってられない。どれだけ推しに人生を捧げたって、衣食住には敵わないという悲しい現実がある。衣服がなければ「隣が臭い」とSNSで叩かれ、食えなければライブで飛べず、住処がなければチケットぴあの会員登録ができない。辛い。
  • 次。楽曲。すげぇ雑に言うと、イマドキじゃないんですよね。YOASOBIと髭男と米津がウケる時代にはマッチしない。その中でも令和を感じたのが『ダブルシャッフル』で、とはいえそれが変化球枠として組み入れられている時点でそういうことだよな、となってしまう。
  • 次。「水樹奈々」というブランド。アニメファン・声優ファンなら誰もが知っている存在だからこそ、「あー知ってる知ってる。でも俺向けじゃないよね」になりがちだと思う。例えば私にとってのガンダムがそれ。いくら「今作のガンダム宇宙世紀じゃないから、新規でも楽しめるよ!」とか言われても「はぁそうですか。まぁ俺は鬼滅の刃を見るが……」となってしまう。それと同じくらい、水樹奈々の名前は広く知れ渡りすぎてしまった。
  • 次。景気。物価がどんどん高くなっている。おまけに働き方改革とかいうクソ野郎がデカい顔をしている。ライブは「モノ」と「人」で作られているので、制作費と人件費が高騰して、それを回収するためにチケット代が上がってしまう。の割に、オタクの所得はそれほど上がっていない。そりゃキツい。
  • 次。帰属意識の低下。上記に挙げたような理由でオタクが離れていくと、かつては10人だったグループが5人になり、3人になり、そして1人になってしまう。そうなるとどうなるか。「水樹奈々に会いに行く」と双璧を成していた「友達に会いに行く」というモチベーションがなくなってしまい、現場から離れてしまう。つまり、いま残っているのは、元々友達がめちゃくちゃ多い陽キャか、そんなんじゃ離れないコア層と結びついた幸運なオタクか、周りに関係なくぼっちでも参加するシン・オタクしかいない、ということになる。
  • などなど、いろいろ挙げられるが、いちばんデカいものとして、新型コロナウイルスがあるのは間違いない。ななしさんも、

もちろん、キャリアを積んだアーティストの人気が落ち着いてくることは当然のことだ。ずっと人気を保ち続けて、あまつさえ集客を伸ばしつづけることなど不可能だ。そういう意味で、誰にとっても”終わり”は、くる。

  • と書いているように、いずれ落ち込むことにはなっていたと思うのだけど、その流れを急加速させたのはコロナウイルスだ。マジで憎い。
  • これは水樹奈々さんに限ったことではなくて、様々なアーティストが集客力の低下に悩まされている。私の好きなアーティストも、明らかにチケットが取りやすくなってしまった。
  • 遠征を避けようというムード(コア層の参加公演数減少+ライト層の気持ちを抑えこむ雰囲気)がデカい。と思われがちだけど、コロナウイルスがもたらした影響はそんな単純なものじゃない。私はふたつ、大きな危機感を抱いている。
  • ひとつめ。ライブの魔法を軽んじたこと。コロナ禍でいろんなアーティストが配信ライブをやった。私はそこの試みは素敵だなと思っているのだけど、配信ライブはあくまで配信ライブでしかなくて、リアルライブの代替にはならない。のだが、アーティスト側が「いつかまた絶対会おうね!キュルルンッ」とか「気持ちは届いてるよ!キュルルンッ」とか、「代替品としての配信ライブ」に繋がるメッセージを多数発信してしまった。マジで失態でしかない。リアルライブを知らない人は「ライブってこんなもんか」となってしまう。知ってる人も「ライブってこんなもんだったか」となってしまう。んなわけあるか。ライブの魅力はスマホじゃ伝わらない。準備、行程、雰囲気、振動、衝撃、匂い、景色。それらが組み合わされることで生まれる昂りこそがライブなのに、ポテチ食いながらTwitterして「エモい!優勝!」とか言えちゃう催しと並列に扱うなよ、と思う(繰り返すが配信ライブそのものはとても素敵)(売り方とコミュニケーションの問題)。
  • ふたつめ。人間がたくましすぎたこと。ライブがなくても生きていけることに気付いてしまったし、ライブがなくても他のエンタメで穴埋めできることに気付いてしまった。かつては「今月ライブない!死!」と言っていたオタクも、「酒うめえ」「VTuberサイコー」「結婚しました」「筋肉を信じろ」などなど、それぞれのやり方でそれぞれの人生を充実させている。ありがたいことに、世界はそのくらい素敵なもので溢れているし、残念なことに、オタクを含む世の中のほとんどの人にとって、ライブは不要不急だ。そしてそのことを、多くの人が自覚してしまった。夢が覚めたのだ。

 

  • では、どうするべきなのか。
  • 私が好きなバンドは「バンドだからって、みんながみんな武道館を目指さなくてもいいだろ」と言い、2000人キャパでのライブを続けている。そして、ニーズが5万キャパぶんあるなら、25回の公演をやる。それなら東京ドームでライブをやる必要はない。これは、届けたいモノを届けるための適切なサイズがありますよね、という話。
  • 私が好きなアーティストは「いつかスナックのママとかやってみたいなぁ」と言い、「みんな」ではなく「あなた」とのコミュニケーションを大切にしている。いまは2000人キャパでライブをやることが多いけど、おそらく、いずれそのキャパは縮小していく。これは、身の丈にあったサイズというものがありますよね。そしてその身の丈の移ろいと、本人の進む方向が重なっているとストレスがないですよね、という話。
  • 上で例に挙げたふたつの話。私は、それぞれの姿勢を見て「めちゃくちゃカッケェな」と思う。やりたいことをやるのに、デカさも金も人数も要らない。東京ドームで踊るアイドルも、ちっぽけなライブハウスで叫ぶバンドも、そこに差はないと信じたい。上田慎一郎もたった300万で『カメラを止めるな!』を作ったじゃないか。大切なのは何を届けたいのか、だ。
  • ビジネス的な視点?会社の利益?知らん。そんなん会社の奴らが考えろ。アーティストに背負わせるんじゃねえよ。アーティストはやりたいことやるのが仕事。それをうまいことビジネスに繋げるのが会社の仕事だろ。
  • 水樹奈々さんが、SSAを再び満員にしたいのか、それともその時々の身の丈にあったサイズで歌えれば良いのかは知らないし、そこに興味はあまりない。何故なら、私は水樹奈々さんのオタクではないから。
  • だけど、俺はななしさんのファンなので、ななしさんの願いが叶ってほしい。

それはキレイな言葉でいえば、「セカンドキャリアへの軟着陸」なんて言いかたもできるだろう。

しかし、僕にとっては──。
少なくとも、僕にとっては──。
僕が好きな水樹奈々は──。

無限に成長していく物語の”主体”であった。
「この辺りが限界でしょ」と賢しらに笑ってみせる僕に、「まだまだこれからだよ!」と鮮烈な景色を見せてくれる人だった。そしてそこから見える絶景はなにより美しかった。ほかのどんな頂上の空気より清々しかった。

僕は彼女に手を引かれる形で、たくさんの、ほんとうにもうたくさんの「頂きからの景色」を眺めてきた。

そんな水樹奈々がこのままでは。
山を下りることを余儀なくされる。

そんなのは嫌だ。絶対に嫌である。
これは純度100%の僕のワガママだ。

ポピュラーミュージックのフィールドで戦いつづける限り、新しい挑戦をするうえで、一定の「スケール」を持つことは必須である。
少なくとも、水樹奈々のような大会場をど派手な演出とパフォーマンスでロックするスタイルでは、なおのことだ。

「押しつけ」といえばそれまでだが、僕は水樹奈々ブルーノートやディナーショーで上質なステージをお届けする歌手ではなく、万を超える客を熱狂させる「POP MASTER」であってほしいのだ。

僕はまだ水樹奈々を応援しつづけたい。
そして僕は信じている。確信もしている。

水樹奈々がこんなところで終わるはずがない、と。
俺たちの水樹奈々がこんなところでへこたれるはずがない、と。

なぜなら水樹奈々は、「もうこんなところでしょ」と思ったときに──こちらが油断した瞬間に、まるで魔法のように新しい景色を見せてくれる人だからだ。

なにより僕は水樹奈々の「信者」だ。
信者とは「信じる人」と書く。

僕は信じる──。
お前らはどうする?

  • 純度100%のワガママほど、押し付けがましいくらいの信仰心ほど、美しいものはないだろ。
  • 水樹奈々よ、夢を叶えてくれ。頼む。

 

  • 24時過ぎ。退勤。タクシーで帰っています。
  • 明日は6時半に起きるぞ。がんばります…………俺は強い。