せーはくの備忘録

備忘録(びぼうろく)は、記憶すべき事柄を簡単にメモするための個人的な雑記帳である。

20210206

  • バナナマンJUNKを聞いて、3時くらいに寝て、9時くらいに起きて、寝て、正午くらいに起きて、虎テレで猛虎キャンプリポートを見て、『初等教育ロイヤル』を見て、YouTube見て、風呂入って、今。

  • 初等教育ロイヤル』は、2019年5月の公演のDVDを一度見たことがありました。
  • そのときそんなにしっかり解釈できなかったんだけど、小山さんが魂込めて宣伝していたから、きちんと見ないとなと思って視聴しました。
  • ストーリーは2019年版と同じで、台詞回しが少し変わっていたくらいなんだけど、やっぱり今回も「この作品で伝えたかったことって何だったんだろう」となっています。そのことに少し申し訳ないなと思っていたり。
  • 多分、クリアすぎる視界で見て生きていけるほど世界は美しくなくて、曇ったメガネとかタバコの煙とか、適度に見えないくらいがちょうどいいんだけど、それでも手を取り合って一歩踏み出そうよみたいな、そういうことなんだろうなぁ、とは思う。
  • 思うんだけど、私がこの作品から受け取った一番大きなメッセージは、「私たちは舞台で生きているよ」ということだった。作品の本質ではないのかもしれないけど。
  • それは、小山さんの「見てほしい」という熱いことばの数々からだけでなく、もっと概念的な、「表現者とは」みたいなところからも感じて。
  • 表現者って、表現して、それを受け取る存在がいてはじめて「表現者」たり得るのかもな、と思っていて。表現してそれで満足、なのは趣味でしかなくて、彼らはプロだから、プロとして届けるということは受け手がいるということと同義なのかな、みたいな。
  • だから、プロとして舞台で生きていることを示すために、演じて、声を上げて、宣伝してくれたのかな、みたいな。そういう気持ちを感じる作品だったし、目だったし、見えなかったけど口元だったし、声だったし、宣伝だった。
  • それが、「私たちは舞台で生きているよ」になって、私の心に届いたんです。
  • ブログやTwitterって、お金をかけずに活用できる宣伝メディアだからこそ、どれだけ愛と熱意と自信を持って取り組んだかが表れると思っています。例えば、作り手が「これは60点かな」という作品よりも、「これは100点だ」の作品のほうが、本気で宣伝するはずなんですよね。
  • そういう意味で、この作品は、(少なくとも)小山さんにとって「今の私が何が何でも届けたい」という作品だったんだろうと。
  • ここ1年半くらい小山さんを見てきて、彼女は本当に素敵な表現者だと思っていて、そんな彼女がそんな熱意を持って届けてくれた作品から私が受け取ったのが、「舞台で生きているよ」というメッセージだったことが、とてもとても嬉しいです。
  • そんな感じ。エンタメって、全部人がつくってんだよな。だから熱いしカッコいいんだよな。そんなことを思いながらエンドロールのクレジットを見ていました。
  • 生きててくれて、届けてくれて、ありがとうございました。

 

  • 長くなっちまった。おわり。
  • 明日こそ午前中に起きて、映画ポケモンを見ます。

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