第20回本公演「福島3部作・一挙上演」 | DULL-COLORED POP
- その名の通り、各2時間の全3部から構成される舞台なのだが、今日は13時から21時にかけて、3部を連続で上演するというスペシャルデイとなっていた。もちろん全部観た。疲れた。感想をきちんと言語化できる気はしないが、以下、雑に投げてみる。
- 本作の題材は、原子力発電である。それが、自らも福島に深い縁を持つ演出家・谷賢一さんによる徹底取材をもとに描かれる。
- 第1部で描かれる時代は1961年。福島県双葉町に、原子力発電所を置くまで。主人公は町の中心的な家系の人間。
- 第2部は1986年。チェルノブイリでの原発事故を受けて、双葉町長が会見を開くまで。主人公は第1部で描かれた家系の次男であり、かつて原発反対派のリーダーを務めながら賛成派にならざるを得なかった当時の双葉町長。
- そして第3部は2011年。東日本大震災による福島原発事故の後が描かれる。主人公は第1部で描かれた家系の三男であり、当時の地元テレビ局の局長。
- 知り合いの勧めで観たが、良い時間を過ごせたと思う。楽しい時間ではなかったが、良い時間だった。
- 私は2歳から5歳まで仙台で過ごしていたが、当時の記憶は曖昧だし、震災当時は神奈川で暮らしていたし、んー、正直、どこか他人事ではある。
- だから、3部を通して観て、共感や再考というより、発見のほうが大きかった。当時のことを思い出して涙を流すこともなかった。
- 震災から8年半が経ち、もちろん今でもなかなか整理できない状況の方も沢山いるだろうが、ある程度復興が進んだタイミングで、東京で、この作品を観ることができてよかったと思う。
- 第1部で強調された「東北は地震が少ない。だから安全だ」というセリフ。第2部で町長が自らに言い聞かせ自らを洗脳した「日本の原発は安全です」というセリフ。
- それら全てが実際のセリフかどうかは分からないが、強く、そして重く響いた。
- そのとき芽生えた感情は怒りなのか呆れなのか哀しみなのか同情なのか、あるいはそれらを全て混ぜたものなのか。心の中を得体の知れないものが渦巻いて、離れなかった。
- 私は神奈川で生まれ、仙台に引っ越し、神奈川に戻ってきて、震災を経験した。私にとっては、津波も、原発事故も、故郷を思う気持ちも他人事である。それは観劇後の今も変わらない。彼らに彼らの人生があるのと同じように、私には私の人生がある。
- えーと、各部で演出が全然違っていて。私は演者ではないし専門家でもないので詳しいことは分からないのだが、1部は人形劇だったし、2部は歌い出すし、3部は演者の出捌けがほとんどなかった。
- 難しい。感想ってこんなに難しいものだったかしら。
- 凄い作品だった。絶対に観るべき作品だった。語り継がれるべき作品だった。でも語る言葉が見つからない。困った。
- これは確かに事実を描いた作品だが、それと同時に芸術作品でもある。ならば、本作が残るのはまぶたの裏側であり、心の中であるはずなのだ。観終わって、目を閉じて、思い出す、そういうのが芸術だ。
- それでも、目を閉じてはいけない気がした。目に焼き付けて、まばたきもせずに一生見続けなくてはいけない気がした。
- でも、それは無理だ。私は私の人生を生きる。
- 難しい。私は本作から何を得た?生きる意味?新しい知見?違う。本作を観たという事実を、それのみを得た。
- それでどうなった?何が変わった?何も変わらない。私は変わらずに生きる。本作を観たという事実を抱えて変わらずに生きる。
- んー、出力の仕方がわからない。脳みその中を覗いてもらえたらいいのになぁ。
- 無印良品のスキニーパンツは履き心地がとても良いとか、武蔵家のらーめんは美味いとか、そういうのみたいに、伝えられたらいいのになぁ。この舞台の魅力を、観た意味を、得たものを。伝えられない。
- まぁ、いいか。観てよかった。これからも生きます。