せーはくの備忘録

備忘録(びぼうろく)は、記憶すべき事柄を簡単にメモするための個人的な雑記帳である。

ことば、その2.5

続編、というわけではないのだけれど、まぁ関連してることだから2.5です。
阪神の背番号25の江越大賀さんの打率が.250あったら一軍定着なんやけどなぁ…無理やろなぁ…。

その1→こちら
その2→こちら


「その1」…というか無印の記事がやたらと読まれたのに対し、「その2」はその割に読んでもらえなくて(と言っても普段のひとりごとよりは圧倒的に多い)、アニメの2期もそんなもんなのかなぁとか、意味のないことを考えていたら、いい感じに心が震えるフレーズを3つ見つけたので、記します。



ひとつめ。

だから僕にとっては、『書く』ことと『読む』ことは同義であって、円環をなしてぐるりと繋がっているんです。
 
いい言葉ですねぇ。

「僕にとっては」とあるけど、僕にとってもそうだし、きっと誰にとってもそうなんじゃないかなぁと思います。
なんかアレよ、ぶつぶつ言いながら作業したら集中できちゃう、みたいな感じ。

「その2」で、全文掲載は承認欲求の結果だった、という旨のことを書きました。
もちろん、承認欲求だけではないんだけど、承認欲求という要素もあって、「ことば」というテーマでブログを書くにあたってはそこを認めないといけなかったし、認められたことで気持ちが楽になりました。
その自己認識に対して見て見ぬふりをして、好きな人がアレコレ考えた言葉を自分のために使うのは、あんまり気持ちのよいものではないなぁと、今は思っておりますよ。

で、その承認欲求「以外」の要素ってなんだろうと思いながらも自分では気付けなかったんだけど、このフレーズを見て「それだ!」となりました。

僕自身、「円環」とか「環」とか、そういう概念が結構好きなのね。
好きな人が開いてくれた世界の先で、また別の好きな人に出会えたりしたら感動しちゃうし、ありがたいことにそういう縁に恵まれている人生を送れているわけです。
だから、好きな人の言葉と、僕の言葉が僕の気付かないところで円を成していることを発見させてもらって、心がぐぁーって熱くなりました。

突然の私信。
あなたの言葉、あなたの価値観、あなたの景色は僕とは違うし、何言ってんだ~わかんね~ってこともたくさんあるけど、それでもあなたの周波数にチャンネルを合わせていく作業は刺激的で、新鮮で、つまり楽しいです。



ふたつめ。

僕は「伝わらないこと」を恐れなくなったように思う。言葉って、本質的に伝わらないものだとはやっぱり思うんです。(中略)多分、伝えたい事というものは、伝えようとする行為と、それを受取ろうとする行為の関係性そのものにあるんじゃないか。

いい言葉ですねぇ。

僕のためのブログ、と散々言っておいて、それでも「どうやったら伝わるか」ということを考えていて、そこにドカンと突きつけられました。
「言葉は伝わらない」、そんなん革命でしょ。

ちょっと脱線すると、この方が言っていたとおり、この方がずっと見てきた人と、僕が好きな人のひとりは似ているなぁと思っていて、確か最初に仲良くなった先輩後輩も、このペアだったように思う。
ブレイドアンドソウルだったかなぁ。
仲良くなった、というより、惹かれ合った、のほうが近いかもしれないね。

閑話休題

んー、言葉、ではなく、言葉に対する認識、を考えるというのはとても面白い発想でした。
言われてみたらなるほど確かに、ということばかり。

ただ、勘違いしちゃいけないのは、言葉は伝わらないかもしれないけど、言葉じゃないと伝わらないということ(ブログや手紙は特に)。
相手の言葉を、そっくりそのまま記号的な意味だけではなく、その言葉に込めたニュアンスや言葉に対する認識を探りながら受け取る。
それは、いい意味で相手の言葉を信用せずに、それでも相手の気持ちを信頼するということだと思う。
でも、その言葉を受け取って、自分で解釈して、そして自分の言葉で発信するときは、自分で自分の言葉を100%信じてあげないといけないのかなぁ、と。

…えっとね、珍しく頭いいこと言おうとしたら自分で分からなくなってしまったよ。
向いてないことはしないほうがいいね。
なんつーの、「言葉は伝わらない」に甘えちゃいかん時もあるよな、ということです。伝われ僕の気持ち。

甘えちゃいけない時ってのは、僕の言葉を相手に伝えなければならない時、例えば手紙だったりね、そういう時。
「どうせ伝わんねーしなー!」って適当な言葉や自分の中で納得できていない言葉を、明確な相手を想定した文に入れてはいけないよね、と。
その相手が大切な人であれば尚更、伝わるための努力をしないといけない。

だがしかし、このブログは僕による僕のためのブログ。
最近他者を意識する機会が多くて忘れかけてたけど、これは僕のためのブログなのだ。
だったら甘えてもいいんじゃね~って、肩の力が抜けたような、そんな気もする。

突然の私信part2。
あなたの言葉に、気持ちに出会えて良かったです。
めっちゃ抽象的なんですけど、感覚的にとても近い感じとか、言い当てられて恥ずかしいような感じとか、すーっと沁み込んでくる感じとか、読み終わって良いもん読んだなぁって感じとか、憧れちゃうけど、でもこの憧れは嫉妬混じりの曇った憧れではなくて、もっと素直に「好きだなぁ」っていう、そういう憧れです。



みっつめ。
ラジオで喋ってたことを引用。

「自分にとってはこういう意味なんだって思ってくれる方が良いかなって思うし、空耳でも良いんですよ」

「歌詞が聴き取りづらいっていうのはあまり弱点だとは思っていなくて、どう聴こえたかっていう事の方が大事だなと思っているんだよね。
歌詞っていうのはメロディのためにあるものだと思っていて、メロディがより引き立つ、その言葉がある事でメロディが唯一無二になる歌詞や曲の方が僕は好きなので」

僕、歌を聴く時に歌詞ってあんまり意識してなくてですね。
もちろん歌のなかでめちゃくちゃ大事な要素だと思うし、歌詞を読み解くことで新しい発見があったりするけど、それは好きになった歌に対してのアプローチであって、好きになるかも分からん歌の歌詞を調べるなんてしたことないなーと。

っていう話は今回は一旦置いておきます。
「歌詞=言葉」「メロディ=気持ち」と置き換えられるのでは、という話をしたい。

「言葉が伝わりづらいっていうのは弱点ではなくて、どう感じたかっていう事の方が大事。
言葉っていうのは気持ちのためにあるものだと思っていて、気持ちがより引き立つ、その言葉がある事で気持ちが唯一無二になる言葉」

なんかそれっぽくなった。

もっと端的に言えねえかな~って思って、15分くらい経って、ようやく見つけた。
「言葉のための言葉ではなくて、気持ちのための言葉を書きたい」、ということ。

これを話していたバンドマン、もちろん仕事として歌をつくっているからリスナーを想定しているんだけど、それ以前に、自分で作ったデモ音源を聴きながら「俺やべぇ曲作っちまった~やべぇ~最高~」って言ってるような人なんです。

そんな彼が大好きだし、僕も僕のブログをやべぇ~って言いたいし、めちゃ良い手紙書けちゃった~って言いたい。
そのために、残しておきたい気持ちと、そんな気持ちを表すための唯一無二の言葉を探していきたい。

それができたら、言葉は伝わらないかもしれないけど、その言葉の向こう側の僕の気持ちは伝わっちゃうかもしれないね。
そうして伝わった僕の気持ちは空耳かもしれないけど、それでもいいやーって感じ。



こういうブログを書くのは好きです。

こういう作業、以前はよく頭のなかでやっていたんだけど、こうして文にして、垂れ流して、いろんな反応を貰えるのって素敵だなって思います。
もっと考え込みたくなっちゃうし、いろんな価値観に触れられるし。

なんかこう、難しい言葉を操ったりめちゃかっちょいい言葉で表現したり、そういうスーパーなオタクを見ていると、俺ってちゃんと愛せてるのかなぁって不安になることもある。
だから、せめてもの抗いとして、できもしないのにこねくり回したブログを書いているのかもしれない。

でも、ちゃんと気付けるんです。
僕はこの人が好きだって。

不安になって、自分の中にも何か宝があるはずだって信じながら、深いところまで一生懸命掘り進めて、掘り進めて掘り進めて、ちょっと立ち止まってみたら、掘り進めていたそのスコップが宝そのものだったことに気付いた、みたいな感覚。
わかるかなぁ、わかんねぇかなぁ。

その感覚を確かめる作業がこういうブログを書くこと。
それは、まっすぐシンプルな気持ちで好きな人を好きでいるために、必要な作業。

もう眠いので寝ます。
やべぇブログが書けた自信はまだ無いけど、今日もナイスな宝を見つけられた気がする。



おわり