せーはくの備忘録

  ブログ(blog)は、World Wide Web上のウェブページに、覚え書きや論評などを記すウェブサイトである。

ことば、その2

衝撃の続編です。
前回(→こちら)、「僕が納得できるブログをやりたいっていう、それだけ(キリッ」とか締めといて、続編です。

雨宮さんのブログ(→こちら)も読んでおいてね。




何故続編なのかと言うと、前回の記事を想像以上に多くの人が読んでくれて、想像以上に多くの人が反応をくれたからです。
そもそもの発端である、ソフとゲマのリリイベの記事ふたつを合わせたアクセス数より多いってどういうこっちゃ。
物好き多すぎでしょ。

で、色んな人の考えに触れて、もうちょい上手いやり方あるんじゃねーかって思いました。
自分としては前回の結末で納得していたし、これや!って思っていたけど、俯瞰してみると修正できるところもあるなぁと。
だから、反応もらったから即修正しなきゃ!自分全否定!とかじゃなくて、もっと自分が納得するための続編です。
こういう機会でもないとやれないと思うし。

棘のある表現もあるかもしれないけど、あくまで僕個人の考えなので、ブログ書く人もそうじゃない人も自分のやりたいようにするといいと思います。
いろんな表現があったほうが、いかにもオタクしてる!って感じで楽しいぞ。



反応気になるおじさんだから、RTしてくれた人が直後になんて言ってるか探ったり、エゴサを10分おきにしたりしてたのね。

そしたら、まぁTwitterってそういうもんだと思ってるけど、概ね好評でして。
褒められて伸びるタイプだからとても嬉しかったし、間違ってなかったんだなぁって安心もしました。
でも、ありがてえことに、苦言とまではいかないけど「俺は違うと思う」って言ってくれる人もちらほらいて、そのおかげで自分の問題点に気付けました。
褒めてくれた人も批判してくれた人も、ガチのマジでバビロンビン感謝してます。



「レポ」「感想」でざっくりふたつに分けるとしよう。
その総称が「ブログ」ね。

反応を見ていて感じたのは、レポを待つ人もいれば感想を待つ人もいるということ。
そして、不参加イベントのブログを読まないマンの僕とは違って、行けなかったイベントのブログを読む人が割りといて、そのブログを読んだことで「こんなに楽しそうなのか、自分も行きたい」と思った人も割りといるということ。

んー、ニーズに応えようとしたらレポと感想の両方を書けばいいのかーとか思ったし、それは前回の記事の結論ともそこまでズレてないし、両方書いといて読みたい人が読みたい方を読めばいいじゃんって思ったんですけど、ここでありがたき批判。

ポイントを抜き出すと、「感想を共有するのに全文掲載する必要はあるのか?」「閉じられたイベントだからこその価値を損ないかねないのでは?」「そもそも感想を共有するのに『イベントに参加してない人』を対象にしなくてよくない?」って感じ。

個人的には、全文掲載したブログを読んだところでイベントに参加した気持ちにはなれないし、イベントの価値を損なうというところまでは至らないと思うけど、それは僕の考えであって。
読者によってはそうではないかもしれないし、それに演者が「イベントだから話したのに…」っていうこともあると思うし、だとしたら、まるっと全体的に見た時に、イベントの価値は損なわれているのかもしれない。

レポなのか感想なのか含め、人によって求めるブログは違うし、結局自分がどうしたいかっていう話だと思うけど、全文掲載に関しては自分がどうというレベルを超えて、(大袈裟かもしれないけど)自分の大好きなイベントの存続に関わる(かもしれない)し、考えなきゃなぁと。



なんでイベントの発言を詳細に文字起こしして、かつそれを公開してたのかっていうのを、もうハゲるほど自分の内面と見つめ合って考え込んでみました。

結論、承認欲求&褒められたい!!!!!!

これ以上にしっくりくる理由もなかったし、「誤解のないように」とか色々な理由は思い浮かぶけど、根源にはこれがあるような気がしたし、そこを認めるところからスタートしてみようと。
そもそも、全文掲載なんてしてない公式レポートは、言葉足らずかもしれんし景色を思い出すには不足しがちだけど、誤解はしたことないしな。
なんかやり方はあるはずなんだよきっと。

承認欲求だったんだってハッとしてすぐに、全文掲載して得られる承認欲求って実はめちゃくちゃ空っぽだなぁと気付きました。
そこにあった承認や賞賛は、ただの文字媒体だとか、「それを記録してくれた誰か」に対してであって、僕に対してではないなーって。
だって、極端な話、録音データの下位互換でしかないし、記録してくれたら誰でもいいわけだし、そんなので承認欲求満たされた気になってるのってめちゃ寒いじゃん。

誰かを好きでいられることを誇りに思える自分でありたいし、好きな人に誇れる自分でありたいし、そんなちっぽけな承認欲求を満たすために好きな人を利用するのって、今までやっといて何だよって感じだけど俺めちゃくちゃダサいなって思いました。
「利用」って表現、悪意と策略まみれって思われかねないな。
もちろんこれまでそんなつもりでやってなかったし、自分なりの向き合い方だと思っていたけど、今になって客観的に振り返ってみると、ダサいなーっていう、そういうことです。



仮に、承認欲求のためにしていた全文掲載をやめたとして、感想オンリーにするのかっていうと、そこまで単純な話でもなくて、掲載していたことで得られるメリットも確実にあったと思うんです。
例えば、雰囲気が伝わりやすいとか、誤解をうまないとか、エモくなれちゃうとか。

だとしたら、適度に適切な箇所を引用するのがいいのかなって思ったところで、これまたナイスなツイートを発見しました。
「一部の発言や行動が切り取られて誇張されて『キャラクター』としてひとり歩きするのは勘弁してくれ」というもの。

これ、特に文字数制限と速報性のあるTwitterレポ系でよくあることだと思っていて、僕も見つけると「うわぁ」ってなっちゃうやつ。
しかも、そういうのに限ってよく拡散されちゃうしね、SNS怖いね。
もちろんそうじゃないのも沢山あるし、僕がふぁぼ・RTするやつは「うわぁ」じゃないやつだけども。

とにかく、一部を引用するっていうことは、こういう危険性があるということだし、そこには留意しないといけないなぁ。

ただ、全文掲載をやめたら自分で見返すときにめちゃ不便なので、ライブドアブログの「プライベート」っていう機能(パスワード知ってる人だけが閲覧できるやつ)を利用しようかなぁと思っております。
そしたら少なくとも自分だけは「レポ」部分も見られるので、手紙書く時に困ることはない。はず。



まとめよう。


前回の結論をおさらい。

各段階で常にフィルターがかかってるということを忘れずに、その上で演者が伝えたい100は何なのかというのを考える。
メモとして残された発言、その先の演者の気持ちと向き合う。

たぶん、この2つは全文掲載の是非に関係なく、心構えの問題なので、そのまま継続していいはず。


その2つに付け加えるべき、今回の結論。

キャラクターがひとり歩きしないよう、それでいてイベントのことが思い出せるよう、それでいてイベントの価値が損なわれないよう、適切な場所を、適度に引用する。

……鬼むずくね?
正解も理想像も完成形もマジで見えないけど。

えー、そうだなぁ。
本文のところには感想をメインにしつつ、その感想に必要な範囲かつ誤解を生まないようにイベントでの発言を引用。
プライベートのところにメモの文字起こしを記録。
体裁としてはこれが分かりやすいのかなー。

未だに踏ん切りつかないのは、きっと僕の中の悪魔ちゃんが承認欲求を満たせと叫んでいるからなんだろうな。
僕のブログのレポ的なところを必要としていた人も多かったと思うし、そういう人の需要や期待には応えられなくなってしまうかもしれん。

どういう形でブログを書くかはまだ分からないけど、なんかこう、色々考えすぎて更新滞ると自分が一番困るので、そうならないようになんとかするつもり。
まぁ、どうせ今後もうだうだ悩みながら試行錯誤していくから、適当に見たい時に見てくれたらそれでいいや。

やってくうちに、しれっと変化してるかもしれないし、かと思ったら次の記事では元に戻ってたりするかもしれないけど、そういう時は「悩んでるんだな」って思って見守ってください。
あと、褒められて伸びるタイプなので、試行錯誤してる中でこの形式や温度感がいいな!っていうのがあったらどんどん教えてください。
あくまで自分のやりたいようにやるから、褒められた形式を採用するかは分からないけど、とりあえずやる気だけはめっちゃ出ます。

繰り返すけど、人それぞれのスタイルがあっていいと思います。
それぞれのかたちでちゃんとオタクして、好きな人をちゃんと愛していきたいもんですな。


物好きのみなさん、今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。
全文掲載レポや公式レポートなんかより、もっと愛情とセンスのある素敵なブログを書いちゃうぞ。


おわり