せーはくの備忘録

備忘録(びぼうろく)は、記憶すべき事柄を簡単にメモするための個人的な雑記帳である。

ことば

どうもどうも。
推しが卒業発表して正直動揺が隠せません。
みんな、会いに行けるうちに行っといたほうがいいぞ。


さて。
本当は、リリイベの感想とか、1%の楽器とか、そういう内容のブログを書きたいなって思ってたんですけど、鉄は熱いうちに打てってことで、予定変更です。

雨宮さんのブログ(→こちら)を受けて、いろいろ思ったこととかを書きます。
答えは出ないかもしれないけど、書いてるうちに道すじが見つかるといいなー。





2014年の秋から、イベントの文字起こしっぽいことをやってきました。
もう3年くらい経っちまうんですね、すごい。

キッカケは、あれだけ大切な場だった「Skyreach」のリリイベのトーク内容を、1ヶ月後くらいに思い出そうとしたら全然思い出せなかったこと。
もちろん、雰囲気とか表情とかは覚えてられるんだけど、どんなこと話してたかなーとか、そういうところ。

で、僕が手紙に書くときって、「〇〇と仰っていましたが、僕は△△と思いました」みたいな、そういうのが多いので、こりゃ困ったなぁと思って、当時イベントレポをブログ等の媒体でやっている人がいなかった(と思う)こともあって、自分でやるかーと思って始めました。
Twitterでレポやってる人はいたけど、振り返りづらいし、140文字だし、まぁ限界あるじゃん。

んで、今「レポ」って言ったけど、まぁ何度も何度も言ってきたけど僕のは「レポ」ではなく「備忘録」だぞと。
「レポありがとうございます!」って言ってもらえることも多いし、知り合いにも「レポ要素が強め」みたいな評価をされることが多いし、色々な人のブログを読んでみると自分でもレポっぽいなぁとも思うけど、これは備忘録なのだ(頑固

感想を交えてもいいけど、自分のブログを読めばその時の情景や抱いた感情が全て思い出せるようにブログを書いてるし、現に思い出せるし、だったら感想をわざわざ書く意味も無いじゃんって思います。恥ずかしいもん。
まぁ、たまには感想を共有したいなって時とか、感想を読んでもっと色んな人に魅力を知ってほしいなって時もあって、そういう時だけ感想を書くようにしています。
例えばTrySailアリーナの感想総括記事とか。

つっても、そこまで鬼鈍くもないし、反応もぼちぼち貰えたりしてるので、僕による僕のための備忘録が誰かに届いていて、その誰かにとっては「僕の言葉=雨宮さんの言葉」になってしまう危険性がある、というのも、だんだんと理解できるようになりました。

とか言っといて、僕自身は、自分が直接受け取ったものだけが自分と相手の関係性の中に存在していてほしいし、もしそのせいで知り得なかった情報だとか感情があったとしても、その足りなさも抱えて応援していきたいっていうスタンスなので、自分が行けなかったイベントのレポは基本的に読まないです。
別に、「他の人が書いたやつはノイズがあるから嫌だ!」とかじゃなくて、なんだろ、単に興味がない…っていうとドライすぎるけど、そんな感じ。



前置きが長くなった。

雨宮さんのブログを読んで思ったのは、単純に「このブログやってて良いんかなぁ」という。

極端な話、メモって適当に文字起こしして、ネットの海に流すことなくプライベートな領域に保存しておけばいいわけだし。
じゃあ何で公開してるのって言われたら、待ってる人がいるらしいこともわかってるし、かと言って慈善だけじゃなくて承認欲求だってあるし…うーん、大した理由はないのかもしれない。


仮に、フィルターを通過する度に8割になるとしたら。
  1. 雨宮さんが抱いた感情や、言葉にならないものも含め伝えたい気持ちが100だとして。
  2. それを雨宮さんが言葉にする時にフィルターがかかって80になって。
  3. それを雨宮さんとは送ってきた人生も価値観も違う僕が受け取って64になって。 
  4. それを僕が言葉にして50になって。
  5. それを誰かが受け取って40になって。
って考えると、だいぶヤバいよね。

きっと、3の段階までは雨宮さんも許容してくれてると思うし。
100から64になる過程すらも面白いと思ってくれてたり、イベント会場に来てくれる人に対しては「この人達になら100の気持ちを80の言葉で発しても64ではなく75くらいになるだろう」とか、「この人達になら100の気持ちを80の言葉で発しても95で受け取ってくれるだろう」とか、そういう風に信頼してくれてるのかなって感じるし。


セトリくらいならまだしも、イベントの発言を記録として残してしまうのって、演者側・運営側にとってはプラスはないと思っていて、あるとしたらマイナスだなぁとは思っていました。
例えば、その場の勢いで言ってしまったことが切り取られてしまったりだとか、映像化しないからこそのネタが残ってしまったりだとか、映像化するからこそのネタが映像化前にバレちゃう、とか。

だから、やれることと言ったら「発言とかの要素をゼロにして感想オンリーの記事にする」か「発言を全て書いて誤解のないような記事にする」の2択かなーと思って、だとしたら後者にしようと思って、なるべく忠実に忠実に書くようにしてきました。



今回の雨宮さんのブログを受けて、Twitterで色々な人が考えを述べていました。
  1. 「言葉で伝えた瞬間、輝いていた出来事も凡庸な出来事になってしまう。言葉は心情を伝えるツールではない(僕はこの「言葉」は面と向かっての「言葉=発言」ではなくてブログでの「言葉=文面」だと解釈しておるよ)」。
  2. 「雰囲気を伝えるために、できるだけ正しく演者の言葉を伝えたい」
  3. 「書き手のフィルターを通しています!という記事のほうが好き。忠実に書かれると、癖で演者が喋っているように受け取ってしまう」
  4. 「言葉にした瞬間にロストしてしまうニュアンスがあるから、言葉を扱う人にできることは、精一杯他の人のことを考えて、自分も納得できる言葉を吐くことに尽きる」
  5. 「イベントレポは良い意味で信用してるし信用してない」
エトセトラ。

1はなるほど確かにそうだよなウンウンって思った。
2は同じスタンスだなぁって思った。
3はハッキリ言い切ってくれて、逆に気持ちがすっきりしたのでありがたかった。
4は僕とかのことを考えて優しい言葉をかけてくれたのかなぁって思ったしありがたかった。
5は皆がそういう気持ちでブログを読んでくれたら…とか思っちゃうくらいには救われるツイートだった。



ブログを紐解いていく。

こうして誰もが見られるブログより、好きなことをリラックスして話せるような気がしました。
もともと日本語は好きですが、ブログほど繊細に受け取られ方を気にすることもなく、ラフな言葉でお話し出来て、でもそれは自分の最近の変化でもあるような気がして、それが嬉しかったです。

「好きなことをリラックスして話」していることを、結果的に本人以外の誰かが「誰もが見られる」状態にしてしまうのは、やっぱり危険性があるなーと思います。
もちろん、それは「雨宮さんの言葉を書いたオタクのブログ」として公開されるわけだけど、前述のように雨宮さん本人の言葉として伝わってしまう可能性も大いにあるわけで。
そういう非公式イベントレポで伝わる誤解を気にした結果、「ラフな言葉でお話し」できなくなっちゃったら、それは雨宮さんも僕らも悲しいことだし。

言葉というツールを介している分、私の気持ち100%で届いているとは思っていませんが、例え多少突っ込んだ話をしても、言葉足らずな時があっても歪曲した受け取られ方をしない安心感があります。
広く発信される言葉だと、文字でも発言でも、誰に悪意を持って切り取られ歪められるか分かりませんからね(´-`)

これはさっきの8割フィルターの話。
「言葉足らずな時があっても歪曲した受け取られ方をしない」っていうのは100を80で発信しても95で受け取ってもらう、ってことかなぁと。
で、受け取って再構築して言葉にした時、50とか40とかになってしまったとして、本人にとっては不利益なことが生じる可能性があって。
そこに悪意が介在していたらもちろん酷い伝え方をして不利益になるだろうし、悪意がなくても結果的に酷い伝え方になることもあるし。
悪意の有無が問題(例えば、悪意がなければオッケー!)なのか、伝わり方が問題(例えば、悪意がなくてもこの伝え方はアカン)なのかは分からんけどね。

これは悪意とは違いますが、インタビューなどの公式的な場所ですら、ごくたまに記事になった時発言者が違っていたり、ライターの方の解釈も入りますから、なかなか正しく伝えるというのは難しいのです。
勿論そういうのは稀で、いつも私の長たらしく下手糞な発言を簡潔に綺麗な言葉でまとめてくださり、ライターさんの語彙力に助けられておりますのでインタビューはいっぱい読んでいただきたいです٩( ᐛ )و
インタビューの話については自分の言語力も含め伝えることの難しさを言いたくて。

発言者が違ったりっていうのは、まぁたまに見ますな。
そういうのは悪意ってことはもちろんないだろうけど、公式っていうのはやっぱりデカくて、金貰ってやってるわけだし、ライターの名前や雑誌の名前を背負って公開してるわけだし、責任は常に付きまとうから、非公式オタクブログとはそもそも性質が違うと思っています。
でも、ここで「公式的な場所ですら」と言っているということは、非公式オタクブログを言外に比較しているような気もするし、ぐぬぬ

なんかまた小難し気な、悪意のごはんになり得るような話になっちゃいましたが、何が言いたいかって、あんなに安心して話せる場所を、時間をくれて本当にありがとうございます。
一緒にあの空間を作ってくれた、受け取り手でいてくださった皆さんにそれをお伝えしたかったのです。
きっとこの記事も、他の記事でさえ、あのような空間を作ってくれた人、作ってくれる人には、何かしらは純度高く受け取っていただけると思うので!

だからイベント中も言いましたが、受け取ってくださる方へ向けて、私は思ったこと言いたいことお伝えしていきますね。

「受け取り手」=「一緒に空間を作ってくれた」人
「受け取ってくださる方」=「受け取り手」
だとしたら、
「受け取ってくださる方へ向けて、私は思ったこと言いたいことお伝えしていきますね」というのは、一緒に空間を作ってくれた人に向けて、あれやこれを伝えたいということだと思うし、それがレポという形で伝播していくのは想定…はしてるかもしれないけど望んではいないってことだろうなぁ。
や、望まれてるとは思ってなかったけどね、僕らがレポを書くかどうかなんて興味のないことだと思っていたから、もしかしてそうでもなくて、割りと敏感な部分なのかも、と思ったということ。



ここまで書いといてアレですけど、あんまりスタンスを変えるつもりはなくて、そういう体裁的なことではなく、向き合う姿勢とか書き残す姿勢とか、そういう部分を自分の中でちゃんと位置づける良い機会なのかなって思っています。

僕は雨宮さんが好きだし、他にも色んな人も好きだし、手紙を書くためにそういった人たちの言葉はできるだけ残しておきたいし、あわよくばブログを書いたことでファンが増えちゃったりだとか、行きたいけど行けなかった人が嬉しくなれちゃったりだとか、行けた人がエモに浸れちゃったりだとかしてほしい。

誠実なオタクであるためにはどうしたらいいかって言うのを考えること自体が誠実なオタクなのかもって思っちゃたりもするけど、それはこちらに都合のいい考えであって。
アレみたいだね、「♪親孝行って何って考える~でもそれを考えようとすることがもう~親孝行なのかもしれない~」つって。

奇しくも「親」「貧乏」というところで共通してしまったから書くけど、両親の話なんて本人は絶対ブログじゃ書かないよなぁって思うし。
ゲマで言った時、全然シリアスな空気はなかったし、さらっと言ったから「あぁ、そうなのね」くらいしか思わなかったけど、もしかしたら僕のブログであの発言を書き残してしまったせいで、読んだ人がめちゃ重い受け止め方をしてしまうかもしれないし。



うーん、行ったり来たり、まとまらない。

変わらないのは、僕が雨宮さんを好きだということ、僕が手紙を書くということ、そのためにこのブログが必要だということ。
変えなきゃいけないのは、僕のフィルターを通した雨宮さんを、できるだけ100に近づけなければならないということ。
で合ってるよな、合ってることにしよう。

ん、なんかわかってきたぞ、えっとえっと。

雨宮さんから受け取ったものを、僕が消化して、再構築して、記録してたのが、初期。
再構築する際に、ちょっとだけ読み手のことを考えるようになったのが、現在。

だとしたら、これからは、「受け取り」「消化」「再構築」「記録」の各段階において、常にフィルターがかかってるんだぞということを忘れずに。
その上で、雨宮さんが本当に伝えたいこと、雨宮さんの100は何なのかっていうのを、考えなければならない。

100にするのは理想論だし、そもそも言葉で発される時点で80になっているかもしれない。
80を100にするために僕が勝手に言葉を補うのは避けたいと思うけど、そこに込められた気持ちとか、雰囲気とか、ニュアンスとかはなるべく残してみよう。
それができたら、僕にとっても振り返りやすくなるし、読者にとっても伝わりやすいし、雨宮さんにとっての不利益が減る…と思いたい。
先述のTwitter1~5でいうと、4の「言葉にした瞬間にロストしてしまうニュアンスがあるから、言葉を扱う人にできることは、精一杯他の人のことを考えて、自分も納得できる言葉を吐くことに尽きる」に近いのかな。


つまり。

雨宮さんから受け取った!って時点で、僕の中では「メモ」「自分」「ちょっとだけ読者」の関係性になってしまっていたところを、変えよう。
「メモ」として残された、「雨宮さんの発言」の先の「雨宮さんの気持ち」と向き合うようにしよう。
めちゃ難しいかもしれないけど、間違っちゃうかもしれないけど、それでもこれが僕の見つけた道すじ。

もちろん人それぞれ歩む道すじが違っていいと思うし、他の書き方をする人がいていいし、読みたくなかったら読まなくていい。
だってこれは他人のためのレポではなく、僕のための備忘録だから、僕が納得できるブログをやりたいっていう、それだけ。



いやー、疲れた、疲れた。
間で寝落ちしたけど、睡眠時間抜いても書き上げるのに5時間くらいかかってしまった。

いないと思うし、とか言っといて少しはいると思ってるけど、最後まで読んでくれた物好きの皆さん、ここまで読んでくれてありがとうございました。
これからも試行錯誤しながら良いブログを書けるよう頑張りますので、どうぞよろしく。



おわり