せーはくの備忘録

備忘録(びぼうろく)は、記憶すべき事柄を簡単にメモするための個人的な雑記帳である。

ライブの楽しみかた

こんばんは、こんにちは、おはようございます。

早いもので2月も中旬、バレンタインですね。


1月の怒涛のレポート・試験ラッシュが終わり、大学生の春休みという人生最強のモラトリアムを無事に手に入れたわけで。
よっしゃやりたいこといっぱいやるゾ!と思っていたら、もう半月経ってしまった。

なので、とりあえず手軽にやれそうなことからやっていこうということで、ブログを久しぶりに書くよ。
言うなればリハビリだよ。


テーマは「ライブの楽しみかた」。
暇な人だけ読んでね。


 




元々こんな感じのテーマで書こうかなってぼんやり思ってはいたんですが、さけとめさんのこのツイートがきっかけになりました。

 
とても良い記事だと思うので、「頑張れ」問題に限らず、ライブに行く人は読んでみると面白いと思いますよん。




で、ここから派生していろいろ書いていこう。

まずは、さけとめさんのを受けて、僕の「頑張れ」に対する考え方。 


元々、「頑張れ」っていう言葉自体が好きじゃなくてですね。

なんか無責任というか、「頑張れ」よりは「頑張りましょう」って言いたいし、「頑張りすぎなくてもいいですよ」って言いたいなーって思っていて。
よくある「『頑張れ』って言われなくても頑張ってるだろ!」みたいな、そういう理屈めいたことではなくて、単純に、言葉から受け取る僕自身の感覚の問題で、「頑張れ」が苦手でした。 


でも「頑張れ」ってめちゃ便利な日本語だしさ、応援してることを伝える手っ取り早い手段だと思うのね。 
だからうっかり手紙に「頑張ってください」って書きたくなるんだけど、そこをうまいこと「楽しんでください」とか「濃い時間にしてくれることを願っています」とか、そういう言い回しに変えてるわけです。
細かいことを気にするおじさんだからね。


そんなだから、ライブにおける「頑張れ」も、正直めっちゃ嫌いでした。
先述の「頑張れ嫌い」に加え、演者が言葉を紡ごうとしてるのを邪魔しているように感じてしまって。
その「頑張れ」が、オタクのエゴにしか聞こえなくて。



でも、さけとめさんの記事読んで、ハッとした部分がありました。
それは、

「僕自身はライブで余り声を発することのできない人間だ。だから、そういう人の分も、出せる人が声にしてくれたらすごく助かっている」 

 ってとこ。


昨年秋に行われた、雨宮天さんの1stライブ、その中野公演。

天さんは、とあるMCパートで涙を流しそうになっていました。 

僕はそれまで天さんの涙を見たことがなかったし、天さんが泣く姿が想像できなかったし、そんな天さんが好きでした。
あ、泣いたから嫌いになったとかじゃないからね(細かいことを気にするおじさん)。

で、そんな天さんの声が震えて、僕は思っちゃったわけですよ、「頑張れ」って。
そりゃもう脊髄反射的に思いましたし自覚しました、「あ、俺今『頑張れ』って思った」って。


でも、「頑張れ」を言葉にすることはできなかったんです。
しなかったのではなくて、できなかった。



そんな経験があったから、ハッとしたわけです。
もしかして、「頑張れ」が言えることって凄いことなんじゃないか?って、ようやく気付けたわけです。

だから、たぶんこれからは、ライブで「頑張れ」が聞こえても、まぁ前よりは心穏やかに過ごせる気がする。





ただ、例外というか、まぁあれだ、何事にも許せん奴というものはいる。

「頑張れ」 が本当に「頑張れ」って思っていて、それを言葉にできる人の「頑張れ」なら受け入れていきたいなって思うんですけど、「お前それ『頑張れ』言いたいだけやんけ」っていう人の「頑張れ」は、きっと受け入れられないままだと思います。

声優さんのライブでも結構いるけど、体感的に某坂46のライブだと死ぬほど多い、そういうオタク。
MC中にアイドルの話も聞かずに「〇〇~!(推しの名前)」と叫び、少し言葉に詰まると驚きの反応速度で「頑張れ~」と言うオタクね。

それだけなら良いんだ、まだ良いんだけど、何より寒いのが、その「頑張れ」が伝播すること。





第二章、ライブにおける一体感問題。


Twitterで僕のことをフォローしてくださってる方ならご存知かと思うんですが、僕はUNISON SQUARE GARDENっていうバンドの田淵智也さんっていうベーシストを尊敬しています。
尊敬っていうかアレね、もはや入信だね(ホットワード)。
その田淵さんが、しばしば苦言を呈するのが、この「一体感至上主義」についてなので、ちょっとその辺を踏襲しつつ、自分の言葉で改めて書いてみよう。



「頑張れ」以外にも、恒例行事レベルでライブ後によく話題になるものとして、「ミックス」「イェッタイガー」「ガチ恋口上」「ふっふーふわふわ」 等があります。


確かにミックスは意味不明だし、イェッタイガーは無音状態を妨害するし、ガチ恋はうるせえ。
そして、ふっふーふわふわは歌詞が聞こえねえ。
それぞれの派閥の言い分はよく理解できる。


個人的には、「言いたいなら言えばいいじゃん」って思います。
ただし、その理由が能動的であればね。


最近TrySailのライブとか、フェス系にTrySailがでた時に、「イェッタイガー」が聞こえることが増えてきました。
それ自体は良いこととも悪いこととも思っていなくて、「増えたなー」としか思わないんですけど。

でも、「イェッタイガー」したあとのオタクの様子見てると、「俺氏イェッタイガー入れたったwww」「ちょwwwおまwww」みたいな、身内間のクソ寒いネタのためのイェッタイガーみたいに感じてしまってですね。
思うわけです、「お前は自分が気持ちよくなるためではなく、隣のオタクと笑い合うためにイェッタイガー叫ぶんか?」と。


田淵さんは、ロックバンドでとりあえず手を挙げてクラップしてれば盛り上がってるみたいな風潮を批判することが多いんですけど、多分それと似たような感じ。


スフィアも振りコピが定着しているけど、別に振りコピせんでも楽しいと思うし(もちろん振りコピも楽しい)。



なにが言いたいかって言うと、もっと自由に音楽を感じようやっていうこと。


隣の友達と笑い合うため、会場のオタクと一緒になるためにライブに来るのも、まぁ楽しいだろう。
人間は社会的な動物だから、誰しも孤独よりは一緒になりたいものだ。

でも、その楽しみかたしか知らないなら、多分それはもったいないよね。

数ある楽しみかたの中から、一体感を得るための道を選んだならそれはそれで結構。
その選択は自由だから、自分が選んだやりかたで楽しめばいい。





その代わり、数ある楽しみかたの中から、あなたの嫌いな選択をするオタクもいることだろう(例えば「俺は静かに見たいのに隣がガチ恋口上しやがった」とか)。
でも、そんなときも、ムッとしちゃうかもだけど、許してあげましょう、受け入れなくてもいいからせめてスルーしましょう。
キレてる時間が無駄だし、その間もあなたの大好きな人はステージで輝き続けているのだ。

事件はいつでもステージで起きてるのだから、一瞬たりとも意識を逸らしちゃいけない。




第三章、ライブの心構え。



結局、どこまで行っても僕らは他人同士なのだから、自分の望むことを100%周囲の人間がやってくれるってことはあり得ないのだ。


隣がうるさいこともある。
前の人がデカすぎてステージが見えないこともある。 
後ろの人が昂ぶってしまって突然歌い始めることもある。

でも、もうしょうがない。
他人は他人だし、なにより音楽はいつだって自由なのだから、その楽しみかたを制限したり否定したりすることはできないと思うんです。

だから、みんなやりたいことやって、でも怪我させたりしたらそれはそれで別の面倒なことになるから、そのへんだけちょっと気にして、楽しんだらいいと思うんだ。



ちょっと脱線して。
最近のライブでは、なんだか禁止事項が増えてきたなぁって感じがするんだけど、その禁止事項のせいでライブを離れてしまった人って、存在が分からないじゃないですか。
いちいち「〇〇が禁止になったのでもうライブ行きません」って運営に言う人なんていないだろうし。

これはラジオとかイラストにも言えることかもしれないんですけど、「肯定的な意見たくさん来たやったー」ではなくて、否定的な意見を言わずに離れていく人をどこまで意識できるか、っていうのが結構大事かなって、ぼんやり思ったりしたよ。




こんな感じかねぇ、うん。

UNISON SQUARE GARDENのライブに初めて行った時、すげえびっくりしたんです、「自由だ」って。
武道館の1万人が、1万通りの楽しみかたをしてるんだよ、最高だよ。
叫んでる人もいる、クラップしてる人もいる、座ってる人もいる、踊ってる人もいる。 
そんで、相互に不干渉で、一体感なんてひとつもないんだもん、あれは楽しかった。


音楽楽しもうぜ~ 



おわり